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貴方は何に関心がありますか?

世の中は移りにけりか何事も、人の思いも変わりけり

群雄割拠する時代に、こういう人物もいた

f:id:kuromekawa28:20141130105203j:plain 鍋島直茂

 戦国時代の九州には「九州三強」がいた。

大友宗麟島津義久、竜造寺隆信の3人である。これらが三つどもえの戦いを繰り広げていたのだ。その中の竜造寺の重臣、軍師として君臨していたのが鍋島直茂である。

 

元亀元年の「今山の戦い」では直茂の作戦で大友軍を撃破したが、天正12年の沖田畷の戦いで主君の隆信が討死し、事態は思わぬ方向へと進む。後を継いだ政家が父ほどのリーダーシップを発揮できなかったのだ。このような場合、多くの他家では無能な主君に代わり筆頭の重臣が下克上を起こし主家を乗っ取ることがある。しかし、直茂は、それをせず補佐役に徹した。

 

 天正15年の豊臣秀吉の九州攻めでは竜造寺は秀吉方についた。この時、竜造寺軍は直茂が率いて参戦、当主の政家は出陣しなかった。これに疑念を抱いた秀吉は調べさせたところ、政家の無能、凡庸さが明らかになり、所領没収まではしなかったが政家を隠居させ、わずか5歳の子どもの高房に家督を継がせ後見人として直茂を国事代行させることにした。

 

戦国時代まっただ中では、誰が軍勢を率いているかが意味を持つ、同僚の家臣たちも直茂の軍事指揮に従ううちに、統率力の無い無能な政家や幼い高房ではなく実際に全軍を指揮する直茂を主君として従うようになった。

 

こうして、この時代には極めて珍しい平和的な下克上が行われたのである。