貴方は何に関心がありますか?

世の中は移りにけりか何事も、人の思いも変わりけり

外貨を稼いで国力を増強

f:id:kuromekawa28:20141204111150j:plain 長宗我部元親

元親が土佐一国を平定したのは天正2年、それからわずか8年で伊予、讃岐と阿波の四国全土をほぼ統一した。土佐が四国の他の3カ国に比べて、そんなに特別条件が良かったわけではない。石高はわずか9万8000石に過ぎなかった。伊予は36万6000石、阿波は18万3500石である。

では、何故そんなに低い生産力で四国全土を席捲出来たのか?

長宗我部軍は「一領具足」とも呼ばれる地侍で有名だった。有事の際には、一領、つまり一揃いの具足とともに即座に戦場に向かえるように、農作業の時にも具足を田畑に置いて農作業をしていた半農半士の下級武士団という強さの秘密があったのだ。

9万8000石という石高では動員できる兵力にも限りがある。そこで、このような自然地理的環境を活かすプラス思考を考えたのだ。土佐には、元親の時代に作成された「長宗我部地検帳」という名の検地帳が残されていて、それを見ると漆・綿・茶・桑など米以外の農作物が栽培されていた。これらの山国の産物を国内で消費してしまわず、土佐以外の国々に回船業者を使って移出させ、現金収入を得ていたのである。

「外貨稼ぎ」の花形は木材であった。時代は丁度築城ラッシュで、城下町建設が進んでいた時代で、木材の需要が急速に高まっていた。しかも元親は、領内すべての木を「御用木」として、勝手に伐り出すことを禁止し、奉行および職人頭の統制下に置いた。筍採りをも禁止するという徹底振りであった。