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貴方は何に関心がありますか?

世の中は移りにけりか何事も、人の思いも変わりけり

秀吉との出会いで有名な武将

f:id:kuromekawa28:20150302201538j:plain 蜂須賀神社

 蜂須賀正勝と言っても思い当たらないが、小六といえばあの豊臣秀吉の「太閤記」に出て来る有名な野武士の棟梁だ。夜盗の親分のように描かれているが、その素性は尾張国の海東郡蜂須賀村の名字を取りその地の士豪だった。

 

世に出るきっかけは秀吉との出会いである。それまでは母の出身地とされた尾張の丹羽郡宮後村で、木曽川の舟運にかかわる川筋衆として活躍し、美濃の斉藤道三、尾張の犬山織田氏などの傭兵として戦いにも参加していた。

 

織田信長の力が尾張から美濃へと伸びて行く過程で、秀吉が川筋衆と接触し、その軍事力と機動力を織田陣営に取り込んだ時に出会ったものである。

 

木曽川筋を生活基盤としていた正勝は、川の流れを制御する知識を持っていて、秀吉はその特殊な才能を使いこなしたのだ。

 

また、正勝は外交交渉能力も持ち合わせていた。1583年に賎ヶ岳の戦いで秀吉が柴田勝家を破った後、喫緊の課題として毛利輝元と戦わずして屈服させたいということがあった。その重要な任務を任されたのが正勝と黒田官兵衛孝高だった。この時、城明け渡しを拒む毛利方の武将を説得し見事にこれを成し遂げた。

 

正勝はその後1585年の四国攻めには病をおして出陣したが、病床につき翌年の5月に大坂で没した。その論功行賞として阿波一国を子の家政が拝領している。