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貴方は何に関心がありますか?

世の中は移りにけりか何事も、人の思いも変わりけり

身体障害者ながら勇猛果敢な武将だった

大友宗麟の軍師として知られる立花道雪という武将は身体障害者だった。

落雷のため足を負傷したことで、歩行も困難、馬にも乗れず合戦には参加できない状態だったが、家臣の助けを借りて手輿を担がせて乗り出陣していた。

しかも、味方の陣が崩れそうになると「この輿を敵の真ん中に担ぎいれよ。命の惜しい者は輿を捨てて逃げよ」と叫び、全軍を叱咤激励したという。誰も主人を置いて逃げるわけにいかず、そこに踏みとどまる形で、何時の場合も崩れかけた軍は勢いを取り戻したといわれる。

道雪はまた、軍師として活躍しただけではなく、主君の大友宗麟に対してしばしば諫言を行った。キリシタン大名として有名な宗麟は名君と同時に暴君でもあった。政治をほっぽりだして連日のように連歌酒宴に明け暮れる時があった。諫言をしようにも 近づけないため一計を案じ、京都から美しい踊り子一座を屋敷に呼び寄せ踊らせていた。その評判が宗麟の耳に入り、「踊り子を連れて登城せよ」との沙汰が出された。道雪は踊り子を連れて登城しては宗麟に諌言をした。家中統制にも気を配り、訓戒状を残してもいる。そこでは「いったん折檻をもうむることがあろうとも、ご意見を申し上げてこそ、はじめて家来といえる」と諌言の重要性を指摘している。

注目されるのは、男女差別をしなかった点である。

道雪には、誾千代(ぎんちよ)という名の女の子しかいなかったが、主君宗麟とその子義統(よしむね)の2人から誾千代に家督を譲る許可を取り付けていた。戦国期には、女性の地位は著しく低かった。後に誾千代が適齢期になり婿を迎えたが、それが立花宗茂である。