貴方は何に関心がありますか?

世の中は移りにけりか何事も、人の思いも変わりけり

2015-01-01から1年間の記事一覧

文化人としても生きた武将

三好長慶 室町時代最後の武将で、もともとは阿波の守護細川氏の家臣でもあった。長慶の父・元長は、はじめ細川晴元を擁していたが、晴元が一族の三好政長と結託して元長を殺したことから長慶自身もしばらく不遇の時代を過ごした。 天文11年になって、畿内で…

 内紛の中で勢力を伸ばす

津軽為信 江戸時代、陸奥国(青森県)では津軽藩主の津軽氏と南部藩主の南部氏の仲が非常に悪かったとされる。それは隣り合う藩同士だけではなく、津軽氏が南部氏内紛のどさくさにまぎれ自立していったからだといわれている。 津軽氏は、本来は南部氏一族の…

謀略による下克上の連鎖

宇喜多直家像 備前の守護といえば、赤松氏で守護代は浦上氏だった。その浦上氏に仕えていたのが宇喜多氏だ。直家の時に戦国大名にのし上がった。大永元年に、浦上氏が赤松守護大名を下克上により乗っ取り、その後の浦上宗景の代になって家臣の宇喜多直家の下…

琉球貿易で財を成した武将

島津義久像 島津氏は鎌倉時代以来の名門で、初代の忠久は元暦2年に源頼朝から島津荘の下司職に任命された。この島津荘というのは、薩摩・大隅(鹿児島)と日向国(宮崎)にまたがる8000町歩を超す壮大な荘園の管理を任されたのだ。 戦国大名家では、ふつう兄…

秀吉との出会いで有名な武将

蜂須賀神社 蜂須賀正勝と言っても思い当たらないが、小六といえばあの豊臣秀吉の「太閤記」に出て来る有名な野武士の棟梁だ。夜盗の親分のように描かれているが、その素性は尾張国の海東郡蜂須賀村の名字を取りその地の士豪だった。 世に出るきっかけは秀吉…

あの信長に反旗をひるがえした武将

摂津の土豪から身を起こした荒木村重、当初は織田信長に抜擢され摂津一国の支配を任されていながら、天正六年に信長に反旗を翻し一族を皆殺しにされたのは何故か? 通説では、石山本願寺との戦いのとき、村重の家臣が密かに本願寺に兵糧を売っていたことが露…

小早川隆景 毛利元就といえば、あの3本の矢で有名ですが、その元就の三男が小早川隆景である。 父、元就の養子送り込み戦略によって小早川家に養子に入り、同じく吉川家に養子に入った兄の元春とともに「毛利両川」ともいわれた。吉川と小早川の2本の川が毛…

みんなご存知、あの虎退治の猛将

加藤清正 加藤清正といえば、豊臣秀吉の家臣の中でも武功派の猛将として有名だが、じつは猛一つの顔があった。それは「築城の天才」「土木の神様」という顔である。 清正は肥後(熊本県)を与えられた時に、主要な河川の流域が荒れているのを見て自分の居城…

お家大事の戦国武将の生き様は

真田昌幸 信州信濃といえば、真田氏という戦国大名が浮かぶ人も多い。もともとは真田氏は武田氏の家臣だった。武田信玄が村上義清に取られた信濃の戸石城を取り戻した。そこで活躍したのが真田幸隆で、彼には3人の男子がいて、長男信綱、次男昌輝は天正3年の…

大人が楽しめるこういう本はいかが

文春文庫版 澁澤龍彦といえば、サド「悪徳の栄え」の翻訳で有名ですが、彼の遺作となった東洋を舞台にした連作短編集「高丘親王航海記」というこの作品は、あまり知られていないでしょうね。 その書き出しは<唐の咸通六年、日本の暦でいえば貞観七年乙酉の…

越後の軍神・上杉謙信は本当に塩を贈ったのか

上杉謙信 毎年のように関東に出兵し、信濃の川中島で武田信玄と5度も死闘を繰り広げた謙信の軍資金は大変豊かだったと言われているが本当なのか? 越後は昔から米どころだったからとか、佐渡の金山・銀山による収入があったからという人が多いが、戦国時代に…