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貴方は何に関心がありますか?

世の中は移りにけりか何事も、人の思いも変わりけり

みんなご存知、あの虎退治の猛将

f:id:kuromekawa28:20150124114643j:plain 加藤清正

 加藤清正といえば、豊臣秀吉の家臣の中でも武功派の猛将として有名だが、じつは猛一つの顔があった。それは「築城の天才」「土木の神様」という顔である。

清正は肥後(熊本県)を与えられた時に、主要な河川の流域が荒れているのを見て自分の居城となる熊本城を築城する前に緑川・白川などに堤防を築いている。これがいまも清正堤防として残っている。また、熊本城の石垣や清正が手伝い普請して加わった名古屋城の石垣は、美しい曲線が特徴で「扇の勾配」などともいわれ、築城術においても能力がいかんなく発揮されている。

これは実は、清正の家臣の中に土木技術を持った有能な家臣がいたのである。それが二人の家老・飯田覚兵衛と森本儀太夫であった。そこには能力本位の人材抜擢があったからでもある。その方法は、誰を役職につけるか、家臣たちの入札、つまり今で言う投票によって決めていたというのである。

ある時の入札で、自分の名前を書いて投票した者が出た。これが発覚したのは記名投票だったのであろう。自選したのは坂川忠兵衛という家臣で、怒った清正は早速、忠兵衛を呼び出して詰問したところ、当人は臆することなく「他人のことはわからない。自分のことを一番よく知っているのは自分自身だ。母衣武者として最適なのは自分自身だと思ったので、自分の名前を書きました」と答えた。清正はこれに納得し、忠兵衛を母衣武者に加えたといわれる。