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貴方は何に関心がありますか?

世の中は移りにけりか何事も、人の思いも変わりけり

文化人としても生きた武将

f:id:kuromekawa28:20150515161857j:plain 三好長慶

 室町時代最後の武将で、もともとは阿波の守護細川氏の家臣でもあった。長慶の父・元長は、はじめ細川晴元を擁していたが、晴元が一族の三好政長と結託して元長を殺したことから長慶自身もしばらく不遇の時代を過ごした。

 

 天文11年になって、畿内で勢力を誇った木沢長政を倒し、7年後に政長をも討ち、細川晴元を近江に追放、さらに天文21年には足利義輝を京都に迎え、細川氏綱を傀儡管領にすえて幕府の実権を握った。このような快進撃を支えたのが、3人の弟たちである。すぐ下が之康、実休の号で知られ義賢とも之虎ともいわれている。その次が冬康で安宅氏を継ぎ、またその次は一存といって十河氏を継いだ。この3人が本拠地である阿波・讃岐、淡路などの国固めをし、長慶の中央進出の活躍を支えた。また、堺商人と結び、財政基盤を固めていたことも特筆される。

 

三好一族は茶の湯の隆盛に一役買っていたことでも知られている。大名物の茶器、九十九茄子を所持していた宗三と号した政長、長慶の叔父にあたる笑岩と号した康長も茶人として有名だった。また、長慶は茶の湯だけではなく、連歌にも熱中した。永禄5年に弟の之康が敗死した時には、長慶は飯盛山城で連歌会を開いている最中だった。使者が之康の戦死を伝えても、平然と連歌を続け、終了後に弟の死を一座の者達に報告したとされている。しかし、実子の義興(よしおき)の死後は気落ちして、次第に家臣の松永久秀に実権を奪われてしまった。こうして、晩年は精彩を欠いたものとなった。